トランプ大統領によるベネズエラ軍事侵攻とマドゥロ大統領逮捕:背景と国際的影響の分析
2026年1月3日の早朝、アメリカ軍がベネズエラの首都カラカスに突入し、現職大統領のニコラス・マドゥロを拘束・国外移送した。作戦名は「オペレーション・アブソリュート・リゾルブ(絶対的な決意)」。
なぜこれが歴史的な事件なのか。 現職の国家元首が他国の軍隊によって自国領土で拉致されるという事態は、近代国際関係において極めて異例だ。第二次世界大戦後、国際社会が構築してきた「武力不行使」「主権の尊重」という国際秩序の根幹が、世界最強の民主主義国家自身の手によって破られた。
この分析では、なぜこの事件が起きたのか、どのように実行されたのか、何が法的に問題なのか、各国がどう反応したのか、そして長期的にどのような影響をもたらすのかを順番に詳しく解説する。

作戦に至るまでの経緯
事件は突然ではなかった
今回の軍事侵攻は「突発的な決断」ではなく、数年にわたる段階的なエスカレーションの結果だ。その流れを時系列で整理する。
ステップ① 2020年:刑事起訴という布石
アメリカ政府はニューヨーク南部地区連邦検事局において、マドゥロ大統領を以下の罪で正式起訴した。
- 麻薬テロリズム陰謀
- コカイン輸入陰謀
- 機関銃・破壊装置の所持およびその陰謀
主張の内容は「マドゥロ政権がコロンビアの武装グループ(旧FARC系残党)と協力し、コカインをアメリカに密輸している」というものだ。
この起訴の意味は大きかった。マドゥロは単なる「独裁者」ではなく、**アメリカ国内法上の「刑事被疑者」**という位置づけになった。これが後に「逮捕令状の執行」という論理につながる。
ステップ② 2025年11月:テロ指定という格上げ
トランプ政権は前例のない措置として、マドゥロを**「外国テロ組織指導者」**に指定した。同じリストには、アルカイダのリーダーやイエメンのフーシ派反政府勢力が並んでいる。
これがなぜ重要かというと、「テロ組織指導者」への指定は、軍事的な対処を政治的に容易にする効果を持つからだ。一般の外国指導者には外交的配慮が必要だが、テロ指定を受けた人物は「テロ対処」の枠組みで処理できると主張しやすくなる。
ステップ③ 2025年9月以降:海上での「実績作り」
アメリカはベネズエラ沖の船舶への攻撃を開始した。記録されているだけで少なくとも32隻を攻撃、約115人が死亡している。
政権は「これらは麻薬密輸船だ」と主張しているが、この主張にはいくつかの深刻な問題がある。
問題点①: 専門家によれば、ベネズエラはアメリカに届く麻薬の密輸において「副次的な役割」しか果たしていない。コカインの主要ルートはベネズエラ沖ではない。
問題点②: 政権は、攻撃した船舶に実際に麻薬があったという証拠を一切公表していない。
問題点③: トランプ大統領は「32隻から80万人を殺せる量の麻薬を押収した」と主張した。しかしCDC(アメリカ疾病予防管理センター)が発表した同期間(2024年5月〜2025年4月)の実際の薬物過剰摂取死者数は7万3,000人だ。つまり「80万人分」という主張は、年間の実際の死者数の約11倍にあたる。この数字の信憑性は極めて疑わしい。
ステップ④ 作戦直前:領土侵入とシミュレーション
本格的な軍事侵攻の直前、CIAがベネズエラ本土にある麻薬カルテルの拠点とされる場所にドローン攻撃を実行した。2025年9月以降の一連の攻撃の中で、初めてベネズエラの領土そのものを直接攻撃した作戦だ。
同時期、空母ジェラルド・R・フォードを中心とする打撃群が南米沖に展開していた。この規模の海軍力を展開するには数ヶ月単位の準備が必要であり、軍事作戦の計画は相当前から進んでいたことが分かる。

作戦「アブソリュート・リゾルブ」の実行
実行日の意味
当初、作戦はクリスマス(2025年12月25日)に実行される予定だった。しかしナイジェリアのISISへの空爆への対応が必要になったため延期され、その後も天候などの理由で先送りが続き、最終的に1月3日に実行された。
この日付は偶然ではないとも見られている。1990年1月3日は、アメリカのパナマ侵攻においてマヌエル・アントニオ・ノリエガ将軍が降伏した日だ。今回の作戦はそれからちょうど36年目にあたる。パナマ侵攻も、現地の指導者を麻薬密輸などの罪で逮捕するという目的だった。
作戦の詳細
国防長官ピート・ヘグセスによれば、作戦は何ヶ月も前から入念に計画されており、マドゥロへの警告は拘束の数分前まで与えられなかった。
トランプ大統領はフォックスニュースのインタビューで、アメリカ軍が実際の作戦会場と同じレプリカを建設して抽出訓練を繰り返したと語った。これは単なる即興的な作戦ではなく、綿密に準備された高度な軍事作戦だったことを示している。
作戦中に起きたこと:
- カラカス市内で少なくとも7回の爆発音を市民が確認
- 低空飛行する航空機が市街地上空を繰り返し通過
- ベネズエラの民間人および軍人が死亡(人数は未確認)
- アメリカ軍にも複数の負傷者(トランプ大統領は「死者なし」と述べた)
- 少なくとも1機のヘリコプターがベネズエラの防衛兵器に撃墜されたことを確認
作戦の公式な正当化——そしてその問題点
ルビオ国務長官は作戦を次のように説明した。
「マドゥロはアメリカの司法で刑事告発されるためにアメリカ人員によって逮捕された。そして今夜見られた武力行動は、逮捕令状を執行する者たちを保護し防衛するために展開された」
つまり「これは戦争ではなく、逮捕令状の執行だ」という論理だ。しかしこの説明は、法律の専門家から強い批判を受けた。
- ノートルダム法科大学院 ジミー・グルーレ教授: 「これは明らかに露骨で違法で犯罪的行為だ」
- エモリー大学法科大学院 マーク・ネヴィット教授: 「引渡条約なしに他国に入ってその国の指導者を連れ去る法的根拠は見当たらない」
なぜ「逮捕令状の執行」という論理が成り立たないのか。 逮捕令状は国内法の文書だ。それを他国の主権領土内で実行するためには、相手国の同意か、引渡条約に基づく正式な法的手続きが必要だ。それらを一切経ずに軍隊を送り込んで国家元首を拘束することは、どの法解釈でも「逮捕の執行」ではなく「武力侵攻」にあたる。
国内法の問題——議会は完全に無視された
連邦法が定める手続きを破った
ルビオ国務長官は、議会メンバーが誰も事前通知を受けていなかったことを認めた。
これは単なる「連絡漏れ」ではない。連邦法は、特に機密性の高い秘密作戦について、超党派の議会上級メンバー8名(通称「Gang of Eight」)への事前通知を義務付けている。
比較として参照できる事例がある。2025年6月のイランの核施設への攻撃の際、政権は少なくとも共和党議員には通知した(民主党議員への通知はなかったが)。今回のベネズエラ作戦は、その最低限の通知さえ行わなかった。
「軍事力使用許可(AUMF)」もなし
近代アメリカの軍事行動では、議会が「軍事力使用許可(AUMF)」を採択することで、大統領の軍事行動を正式に承認するという手続きが取られてきた。しかしベネズエラに対するAUMFは採択されていない。
バージニア州のティム・ケイン上院議員らは以前から、ベネズエラへの軍事力使用を禁じる法案を提出してきたが、成立には至っていなかった。
議会の反応
| 政治家 | 党派 | 発言内容 |
|---|---|---|
| チャック・シューマー(上院院内総務) | 民主党 | 即座のブリーフィングを要求、作戦を非難 |
| ハキーム・ジェフリーズ(下院院内総務) | 民主党 | 大統領の発表を非難 |
| ジム・ハイムズ(下院情報委員会) | 民主党 | 「議会の承認なしに攻撃を正当化する証拠を見たことがない」 |
この問題の本質は何か。 アメリカ憲法は戦争宣言の権限を議会に与えている。しかし近年、大統領が議会の承認なしに軍事行動を取るケースが増えている。今回の作戦は「議会への通知さえしない」という点でその極端な例だ。大統領が議会の監視なしに独断で他国を侵攻できるなら、立憲民主主義における権力分立の原則は実質的に空洞化する。
国際法の問題——何がどう違反なのか
国連憲章第2条4項:武力不行使の原則
国際法の中でも最も根本的な規定の一つが、国連憲章第2条4項だ。
「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも慎まなければならない」
アメリカはベネズエラの同意なしに軍事力を展開し、国家元首を拘束して国外移送した。これはこの規定に対する明白な違反だ。
「規模が小さかったから」「短時間だったから」という理由で同条項の適用を逃れられるかという議論もあるが、国際判例は一貫してこれを否定している。「外科的」な作戦であっても、武力の行使であれば同条項は適用される。
なぜ正規の手続きを踏まなかったのか
アメリカが取りうる正規の手続きは以下のようなものがある。
- ベネズエラとの引渡条約 → そもそも条約が存在しない
- 国連安全保障理事会への承認申請 → 承認は発動されていない
- 国際刑事警察機構(ICPO)を通じた国際手配 → 実施されていない
- 第三国を通じた外交的圧力 → 試みられていない
これらを一切経ずに軍事行動に踏み切ったことが、国際法違反の核心だ。
トランプ政権が持ち出した「根拠」とその問題点
政権は1989年の司法省法律顧問室(OLC)の意見書を根拠として持ち出したとされる。これはウィリアム・バー司法次官補(後の司法長官)が署名したもので、「大統領は国内法上の問題として、国連憲章に違反する行動を命令できる」と結論づけていた。
しかしこの意見書には根本的な問題がある。
- 法学者から30年以上にわたって批判されてきた文書だ
- 司法省自身が、裁判所での弁論ではこの結論に従うことを意図的に避けてきた
- 1989年に書かれた国内政治的な文書を、現職国家元首の拘束を正当化する根拠に使うことは、法学的に極めて異常だ
国連の反応
国連のアントニオ・グテーレス事務総長は「深く警戒している」と述べた。報道官のデュジャリック氏は「これらの展開は危険な前例を構成する」と明確に警告した。
「ベネズエラを運営する」——植民地主義的発言の衝撃
トランプ大統領の発言
作戦後の記者会見でトランプ大統領は以下のことを述べた。
- 「我々はベネズエラを運営するつもりだ、少なくとも一時的に」
- ベネズエラの石油資源を他国に売却する計画を公言
- アメリカによる統治は「何のコストもかからない」(アメリカ石油会社が投資するからという理由)
- 「大儲けするだろう」
なぜこれが問題なのか
この発言が衝撃をもって受け取られた理由は、植民地主義時代の論理そのものだからだ。
19世紀から20世紀前半にかけて、欧米列強は「文明化の使命」を口実に、アジア・アフリカ・ラテンアメリカを植民地化し、その資源を収奪した。今回トランプ大統領が述べたことは、構造的にまったく同じだ。「腐敗した政権を打倒した(名目)→その国を管理する(支配)→資源を売って儲ける(収奪)」。
第二次世界大戦後の国際秩序は、この植民地主義への反省を基礎の一つとしている。「すべての国家は大小を問わず平等な主権を持つ」という主権平等の原則は、その反省の産物だ。
モンロー・ドクトリンの21世紀版
1823年、第5代大統領ジェームズ・モンローは「ラテンアメリカはヨーロッパ列強の影響圏外である」と宣言した(モンロー・ドクトリン)。これはラテンアメリカをアメリカの勢力圏と位置づけるものだった。
今回トランプ大統領が述べたことは、その21世紀版アップデートだ。「ラテンアメリカはアメリカが直接管理・運営できる領域である」という主張だ。
メキシコのシェインバウム大統領はこれに即座に反論した。「アメリカ大陸はいかなる教義にもいかなる権力にも属さない。アメリカ大陸はそれを構成する各国の人々に属する」。
ベネズエラ国内の複雑な状況
ベネズエラのロドリゲス副大統領は「我々はいかなる者の奴隷でも植民地でもない」と強く非難した。しかし同時に、彼女がアメリカと協力する新指導者として就任すると報じられており、その言葉とは矛盾する。これはベネズエラ国内政治の複雑さを象徴している。

国際社会の反応
ラテンアメリカ:強い反発
ラテンアメリカの反発が特に強い理由がある。この地域は20世紀を通じて、アメリカの軍事介入を繰り返し受けてきたからだ。グアテマラ(1954年)、ドミニカ共和国(1965年)、チリ(1973年支援)、グレナダ(1983年)、パナマ(1989年)——アメリカによる政権転覆や軍事介入の歴史が積み重なっている。今回の事件は「あの時代が戻ってきた」という根深い恐怖を呼び起こした。
ブラジル(ルラ大統領): 「ベネズエラ領土への爆撃と大統領の拘束は、受け入れがたい一線を越えるものだ。国際法に明白に違反して国々を攻撃することは、最強者の法が多国間主義に優先する、暴力・混乱・不安定の世界への第一歩だ。国際社会は国連を通じてこの事態に強力に対応する必要がある」
コロンビア(ペトロ大統領): 「コロンビア政府はベネズエラとラテンアメリカの主権に対する侵略を拒絶する」——注目すべきはコロンビア自身はマドゥロ政権を承認していないにもかかわらずこう述べた点だ。政権の正統性への評価と、主権への侵略への評価は別問題だということを示している。
メキシコ(シェインバウム大統領): 「メキシコでは人々が統治し、我々は自由で主権のある国だ。協力はするが、従属と介入はしない」。外務省は「対話と交渉が相違を解決する唯一の正当な手段」と強調した。
その他: チリ、キューバ、ウルグアイも外国軍事介入を支持しないと声明を発表した。
反対派の反応と矛盾: ベネズエラの反対派指導者マリア・コリーナ・マチャド(2025年ノーベル平和賞受賞者)は作戦を歓迎し、「ベネズエラの自由が近い」と述べた。しかしトランプ大統領は同じ記者会見で、マチャドについて「国内で支持も尊敬も得ていない」と述べた。これは独立系機関クリアパス・ストラテジーズの2025年3月調査でマチャドが72%の支持率を得ているという事実と明白に矛盾する。アメリカ政権がベネズエラの実情を正確に把握していない可能性を示す発言だ。
欧州:原則を示しながら慎重に
欧州各国は国際法への懸念を表明しながらも、アメリカとの同盟関係を維持するため、極端な批判は避けた。
イギリス(スターマー首相): 「私は常に国際法を支持すべきだと言い、信じている」としながら、「急速に動いている状況の中で、まず事実を確認してから」と言葉を選んだ。後に「マドゥロ政権の終焉について涙を流さない」と言いながらも「国際法への支持」を繰り返した——アメリカへの配慮と原則の間で慎重に言葉を選んだ典型的な外交発言だ。
ドイツ(メルツ首相): 作戦を「複雑」と表現し、「時間をかけて評価する」と述べた。
フランス(バロー外相): 「国際法の基礎となる武力不行使の原則に反する」と比較的明確に批判した。
スペイン(サンチェス首相): 「国際法に違反する」と述べた。
欧州委員会(フォン・デア・ライエン委員長): 「いかなる解決策も国際法と国連憲章を尊重しなければならない」と条件を付けながら、民主的権力移行への支持を表明した。
欧州の立場が複雑な理由: 欧州は同時期、ロシアのウクライナ侵攻を「国際法違反・武力行使の禁止に反する」と強く批判してきた。アメリカの今回の行動を黙認することは、その批判との一貫性を失わせる。しかしNATO同盟国であるアメリカへの直接的な批判は外交上の摩擦を生む。この矛盾の中での慎重な言葉選びが、欧州各国の反応に表れている。
ロシア・中国:強い非難と戦略的利用
ロシア: 外務省は「主権と国際法の重大な違反」と非難し、「アメリカはベネズエラに対する武力侵略行為を犯した。これは深い懸念を引き起こし、非難に値する」と声明を出した。モスクワを「対話の場」として提供するとも述べた。ロシアはマドゥロ政権への軍事・経済支援を続けてきた主要な後ろ盾であり、今回の作戦はその戦略的損失を意味する。
中国: 外務省は「アメリカの主権国家に対する露骨な武力行使に深く衝撃を受け、強く非難する」と声明を発表。「ラテンアメリカとカリブ海地域の平和と安全を脅かすアメリカの覇権的行為」と名指しで批判した。中国はチャベス時代からベネズエラの最大の投資国・石油購入国として関与してきた。
注目すべき動き: 中国のソーシャルメディアでは、「アメリカがベネズエラでこれをできるなら、中国も台湾で同じことができる」という議論が広まった。これはアメリカの行動が意図せず中国に台湾問題での行動を正当化する口実を与えかねないという、極めて危険な逆説的効果を示している。
中国のアナリストは、北京が今回の事件を「国際法の守護者として自らを位置づける機会」として活用するだろうと予測した。
イラン・キューバ:次の標的への恐怖
イラン: ハメネイ最高指導者は「敵に屈してはならない」と発言した。この発言の背景として、トランプ大統領は前日にもイランへの攻撃を脅迫していた。ベネズエラでの「成功」がイランへの軍事行動の布石となる可能性をイランは強く警戒している。
キューバ: 強く非難し「国際法違反」と呼んだ。1961年のピッグス湾侵攻(アメリカによるカストロ政権転覆の失敗した試み)という歴史を持つキューバにとって、「次はキューバが標的になるのでは」という恐怖は現実的なものだ。実際、ルビオ国務長官はベネズエラの警備にキューバ人が関与していたと述べ、キューバの指導部への懸念を表明した。トランプ大統領はキューバを「失敗国家」とも呼んだ。
国際法秩序・国連への影響
国連安全保障理事会は「詰んでいる」
ベネズエラの国連大使が月曜日の安全保障理事会緊急会合を要請し、ロシアと中国がこれを支持した。しかしアメリカは安保理常任理事国として拒否権を持つ。アメリカの行動に対して制裁や非難決議を採択することは構造的に不可能だ。
これは国連システムの根本的な設計上の限界だ。安保理が機能するのは、大国が協調する意思を持つ場合に限られる。当事国がアメリカ本人である以上、国連は実効的な対応を取れない。
歴史との比較——1930年代の警鐘
この状況は1930年代と構造的に似ている。
| 1930年代 | 2026年 |
|---|---|
| 日本が満州に侵攻(1931年) | アメリカがベネズエラに侵攻 |
| イタリアがエチオピアに侵攻(1935年) | 類似行動の誘発リスクが高まる |
| 国際連盟が有効な対応を取れず | 国連安保理がアメリカの拒否権で機能不全 |
| 侵略が「黙認」され第二次大戦への道を開く | 前例設定が将来の大国軍事行動を誘発するリスク |
歴史の教訓は明確だ。「大国による国際法違反を国際社会が止められなかった」という事実は、他の侵略者に「やってよい」というシグナルを送る。
国際刑事裁判所(ICC)の限界
ICCには侵略犯罪・戦争犯罪・人道に対する犯罪を裁く権限がある。しかしアメリカはローマ規程の締約国ではないため、ICCの管轄権が及ばない。トランプ政権第一期にはICC検察官への制裁まで実施していた。ICCがこの件で意味のある行動を取れる可能性は極めて低い。
人道的危機——見落とされがちな現実
ベネズエラの既存の危機
今回の軍事作戦を論じる際、ベネズエラ国民が置かれた状況を忘れてはならない。
- 難民: 国連HCRによれば700万人以上のベネズエラ人がすでに国外に避難。世界最大規模の難民危機の一つ
- 食料不安: 世界食糧計画(WFP)によれば、国内で約960万人が食料不安に直面
- 医療崩壊: 薬品不足・医療機器不足・医療従事者の国外流出が深刻
- 経済崩壊: ハイパーインフレと経済制裁で産業が壊滅状態
軍事作戦はこれらの状況をさらに悪化させる可能性が高い。
周辺国への波及
コロンビア、ブラジル、エクアドル、ペルーはすでに数百万人のベネズエラ難民を受け入れている。世界銀行の推計によれば、コロンビアだけで2019〜2021年の間に約130億ドルを難民対応に支出した。新たな軍事的混乱は難民の追加流出を引き起こし、これらの国々の財政・社会をさらに圧迫する。
イラク・アフガニスタンの教訓
軍事介入後の「国家建設」の困難さは、イラク(2003年侵攻)とアフガニスタン(2001年侵攻)が十分に示している。両国では侵攻後も長年の不安定が続き、アメリカが望んだような安定した民主主義は実現しなかった。外部の軍事力で政権を打倒しても、それが真の民主主義や安定につながるとは限らない。
地政学的再編——長期的に何が変わるか
ラテンアメリカにおけるアメリカの影響力低下
今回の作戦はラテンアメリカ主要国を団結させ、アメリカへの不信感を大幅に高める。これらの国々は以下の方向に動くと予測される。
- アメリカへの依存低下: 経済・安全保障の両面でアメリカ依存を減らす
- 中国・ロシアとの関係強化: 代替的なパートナーシップの拡大
- 地域統合の強化: CELACなど、アメリカを含まない地域組織の発展
- OASからの離脱加速: すでにベネズエラ(2019年)、ニカラグア(2021年)が離脱済み
中国が利益を得る
中国はこの事件から複数の利益を得る可能性がある。
- 「国際法と秩序の守護者」として自らを位置づけ、アメリカとの対比を印象づける
- アメリカへの不信感が高まったラテンアメリカ諸国への経済的関与を拡大する
- 台湾政策について「アメリカだってやっている」という正当化の論拠を手に入れる
アメリカの「ソフトパワー」の損失
政治学者ジョセフ・ナイが提唱した「ソフトパワー」とは、軍事力や経済力(ハードパワー)ではなく、価値観・文化・政策の魅力によって他国を動かす力だ。アメリカは長年「法の支配と人権の擁護者」というイメージを外交の重要な資産として使ってきた。
今回の行動はそのイメージを根本から傷つける。他国に「人権を尊重せよ」「国際法に従え」と言い続けてきた国が、自らそれを破った。このソフトパワーの損失は、軍事的「勝利」では回収できない。
アメリカ国内政治への影響
権力分立の侵食
アメリカ憲法の根幹は三権分立(行政・立法・司法の相互チェック)だ。今回の作戦は以下の問題を提起する。
- 立法府(議会)の完全無視: 事前通知なし、AUMFなし
- 戦争権限の大統領への集中: 議会の同意なしに他国に侵攻できるという前例
- 司法審査の困難: 裁判所は外交・軍事政策を「政治問題」として審査を避ける傾向がある
「アメリカ第一」との矛盾
トランプ大統領は選挙運動で「アメリカ第一・海外不介入」を繰り返し主張し、イラクやアフガニスタンでの「泥沼の戦争」を批判してきた。しかし今回のベネズエラへの大規模軍事侵攻は、その公約と真っ向から矛盾する。
世論調査では一貫してアメリカ人の過半数が「アメリカは世界問題に巻き込まれすぎている」と答えている(シカゴ外交問題評議会2024年調査)。今後ベネズエラが「新たなイラク」のように泥沼化すれば、国内での政治的反発が大きくなる可能性がある。
情報戦——何が事実で何が誇張か
アメリカ政権の主張を検証する
| 政権の主張 | 実際の状況 |
|---|---|
| 「32隻はすべて麻薬密輸船」 | 証拠は非公開。ベネズエラは麻薬密輸において副次的役割 |
| 「80万人を殺せる量の麻薬を押収」 | CDCの実際の年間薬物死者数の約11倍。信憑性に重大な疑問 |
| 「作戦は逮捕令状の執行」 | 引渡条約なし。他国への軍事侵攻は法執行ではなく武力行使 |
| 「マチャドは支持を得ていない」 | 独立系調査で72%の支持率。政権の認識との乖離が明白 |
| 「石油収益でコストゼロ」 | ベネズエラ石油産業は制裁・投資不足で生産大幅低下。回復には大規模投資が必要 |
なぜ事実確認が重要か
2003年のイラク侵攻では、ブッシュ政権が「イラクは大量破壊兵器を保有している」と主張した。これが後に事実ではなかったことが判明した。今回のベネズエラでの「麻薬密輸」という根拠についても、独立した事実確認が求められる。
この出来事が問いかけること
私たちが直面している選択
今回の事件は、21世紀の国際秩序をどう形成するかという根本的な問いを提起している。
「力に基づく秩序」の世界: 軍事・経済力が大きい国が小さい国を支配できる。大国は国際法を都合に応じて無視できる。弱い国は強い国の意志に従うしかない。
「法に基づく秩序」の世界: すべての国家が同一のルールの下に置かれる。武力による問題解決ではなく、外交・法的手続きを通じた紛争解決を基本とする。主権平等の原則によって、小国も自らの安全を守れる。
今回のアメリカの行動は前者への回帰を示唆している。
前例が持つ危険性
「最強国が国際法を無視して他国の元首を拉致し、その資源を自国の利益のために管理できる」という前例は、核兵器が存在する今日の世界において、人類の平和と生存に直結する問題だ。
ロシアや中国が将来の軍事行動を正当化する際に「アメリカがベネズエラでやったこと」を引き合いに出すことはほぼ確実だ。中国のソーシャルメディアではすでにその議論が始まっている。
ベネズエラ国民を忘れてはならない
地政学的な議論の中で見落とされがちだが、この問題の中心には700万人以上の難民と960万人の食料不安に苦しむ人々という現実がある。軍事作戦の成否がどうであれ、ベネズエラの安定と国民の生活改善は、外部からの武力によってではなく、国民自身の意思と国際社会の継続的な支援によってのみ達成できる。
今後の国際社会がこの事件にどう対応するかが、21世紀の国際秩序の性格を大きく左右する。

付録A:関連年表
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2020年 | マドゥロをニューヨーク連邦検事局で麻薬関連罪で起訴 |
| 2025年9月 | ベネズエラ沖船舶への攻撃開始(最終的に32隻・約115人死亡) |
| 2025年11月 | マドゥロを「外国テロ組織指導者」に指定 |
| 2025年秋〜冬 | 空母ジェラルド・R・フォード打撃群を南米沖に展開 |
| 2025年12月 | CIA、ベネズエラ本土への初のドローン攻撃を実行 |
| 2026年1月3日 早朝 | 作戦「アブソリュート・リゾルブ」実行。マドゥロ拘束・国外移送 |
| 2026年1月3日 同日 | 国連安保理緊急会合(実効的対応は不可能) |
| 2026年1月3日 同日 | ラテンアメリカ・欧州・ロシア・中国が相次いで声明発表 |
付録B:主要人物一覧
| 人物 | 役職 | 立場・言動 |
|---|---|---|
| ドナルド・トランプ | アメリカ大統領 | 作戦を命令。「ベネズエラを運営する」「大儲けするだろう」発言 |
| マルコ・ルビオ | 国務長官 | 「逮捕令状の執行」として正当化 |
| ピート・ヘグセス | 国防長官 | 作戦詳細を説明。「数分前まで警告なし」と確認 |
| ニコラス・マドゥロ | ベネズエラ大統領(拘束) | 2020年に麻薬関連罪で起訴済み |
| デルシー・ロドリゲス | ベネズエラ副大統領 | 拘束を非難しながら、アメリカとの協力も報じられる |
| マリア・コリーナ・マチャド | 反対派指導者・2025年ノーベル平和賞 | 作戦を歓迎。国内支持率72%(独立系調査) |
| アントニオ・グテーレス | 国連事務総長 | 「深く警戒」「危険な前例」と警告 |
| ルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ | ブラジル大統領 | 「受け入れがたい一線を越えた」と強く批判 |
| グスタボ・ペトロ | コロンビア大統領 | 非承認政権への評価と主権侵害への批判を分けて声明 |
| クラウディア・シェインバウム | メキシコ大統領 | 「アメリカ大陸はいかなる権力にも属さない」 |

